滋賀の旅(14)近江日野商人館 日野椀と「万病感応丸」 [滋賀]
日野まちかど「感応館」の向かいあたりにわたって、
越川町の町並みへ。
清水町の町並みです
近江日野商人館に到着です。
こちらも古いお屋敷です。
日野商人の山中兵右衛門家の邸宅で、昭和11年に建築されたもの。
福助が迎えてくれました。
こちらは古い福助。入館料は300円です。
「おはようございます」と迎えてくださったのはスタッフの女性。
こちらは希望すれば、スタッフの方が説明してくれるようです。
まずは近江商人の特徴からお話をうかがいました。
この説明がわかりやすく、面白い!
メモをとっていると、
「あなた、作家さんか何か?」と聞かれました(笑)。
「実は“おいで~な滋賀”で、旅をブログに書くという企画があって、
近江商人の町を巡っているんです」と説明しました。
では、近江商人の特徴から紹介していきましょう。
<近江商人の登場時期>
今回、私が回っている近江八幡(八幡商人)、日野(日野商人)、五個荘(五個荘商人)の登場時期ですが、
八幡商人と日野商人は江戸時代初期、五個荘商人はそれより少し遅れて江戸中期の登場となります。
<近江商人の取り扱い品>
八幡商人…「八幡蚊帳」や畳表など
日野商人…「日野椀」「日野合薬」など
五個荘商人…麻布、晒し、編み笠
他にも商いのエリアや方法など、さまざまな違いがあるのですが、
あとは日野商人について紹介しながら、説明していきますね。
●日野椀●
600年前から作られていた漆器です。
独特の形ですよね。
中身はこんなに厚いんです。
江戸時代の記録には、「そそっかしい人に似合う椀」と記されてるとスタッフの方が
教えてくださいました。
確かに丈夫だし、落としても割れにくそうですよね。
つまり、私にぴったり(笑)。
一時、京や大阪に日野椀専門店ができるほどの人気でした。
しかし、もっと薄い漆器が登場したことで人気もなくなってしまい、
200年前に作られなくなってしまいました。
ここにある日野椀は、200年以上前のものということになりますね。
この地をおさめていた蒲生氏郷が会津に行く際、
漆器職人たちを会津へ連れていきました。
会津といえば会津漆器が有名ですが、
日野椀の技術が、会津塗りへとなっていったんですね。
最近、この日野椀が復活。
販売されています。
●日野合薬●
薬は1つ前の記事でも紹介しましたよね。
日野商人は、約300年前に日野商人だった正野法眼玄三が作った「万病感応丸」などの
薬も商っていました。
その売り方が、当時では画期的。
全国の人が集まる店に置いてもらう委託販売形式でした。
薬を扱う店は取次販売店となり、そこには薬の看板が設置されました。
薬で販売利益を蓄えた日野商人は、出店を持つようにもなっていきます。
日野の薬の代名詞「万病感応丸」ですが、現在も販売されているんですよ。
半月形をしています。
記念に買ってみようかなと思って、展示されているものの価格を見たら、
58個で2万円。
1個350円ぐらい!?
見送りました…。
帰りに歩いて駅まで向かう際、
現在「万病感応丸」を作っている日野薬品工業をみつけました。
薬局にものぼりがありますね。
話を聞いて町をまわると、ますます楽しいものですね。
近江日野商人館については、次に続きます。
越川町の町並みへ。
清水町の町並みです
近江日野商人館に到着です。
こちらも古いお屋敷です。
日野商人の山中兵右衛門家の邸宅で、昭和11年に建築されたもの。
福助が迎えてくれました。
こちらは古い福助。入館料は300円です。
「おはようございます」と迎えてくださったのはスタッフの女性。
こちらは希望すれば、スタッフの方が説明してくれるようです。
まずは近江商人の特徴からお話をうかがいました。
この説明がわかりやすく、面白い!
メモをとっていると、
「あなた、作家さんか何か?」と聞かれました(笑)。
「実は“おいで~な滋賀”で、旅をブログに書くという企画があって、
近江商人の町を巡っているんです」と説明しました。
では、近江商人の特徴から紹介していきましょう。
<近江商人の登場時期>
今回、私が回っている近江八幡(八幡商人)、日野(日野商人)、五個荘(五個荘商人)の登場時期ですが、
八幡商人と日野商人は江戸時代初期、五個荘商人はそれより少し遅れて江戸中期の登場となります。
<近江商人の取り扱い品>
八幡商人…「八幡蚊帳」や畳表など
日野商人…「日野椀」「日野合薬」など
五個荘商人…麻布、晒し、編み笠
他にも商いのエリアや方法など、さまざまな違いがあるのですが、
あとは日野商人について紹介しながら、説明していきますね。
●日野椀●
600年前から作られていた漆器です。
独特の形ですよね。
中身はこんなに厚いんです。
江戸時代の記録には、「そそっかしい人に似合う椀」と記されてるとスタッフの方が
教えてくださいました。
確かに丈夫だし、落としても割れにくそうですよね。
つまり、私にぴったり(笑)。
一時、京や大阪に日野椀専門店ができるほどの人気でした。
しかし、もっと薄い漆器が登場したことで人気もなくなってしまい、
200年前に作られなくなってしまいました。
ここにある日野椀は、200年以上前のものということになりますね。
この地をおさめていた蒲生氏郷が会津に行く際、
漆器職人たちを会津へ連れていきました。
会津といえば会津漆器が有名ですが、
日野椀の技術が、会津塗りへとなっていったんですね。
最近、この日野椀が復活。
販売されています。
●日野合薬●
薬は1つ前の記事でも紹介しましたよね。
日野商人は、約300年前に日野商人だった正野法眼玄三が作った「万病感応丸」などの
薬も商っていました。
その売り方が、当時では画期的。
全国の人が集まる店に置いてもらう委託販売形式でした。
薬を扱う店は取次販売店となり、そこには薬の看板が設置されました。
薬で販売利益を蓄えた日野商人は、出店を持つようにもなっていきます。
日野の薬の代名詞「万病感応丸」ですが、現在も販売されているんですよ。
半月形をしています。
記念に買ってみようかなと思って、展示されているものの価格を見たら、
58個で2万円。
1個350円ぐらい!?
見送りました…。
帰りに歩いて駅まで向かう際、
現在「万病感応丸」を作っている日野薬品工業をみつけました。
薬局にものぼりがありますね。
話を聞いて町をまわると、ますます楽しいものですね。
近江日野商人館については、次に続きます。
メモをとりながらの見学、お疲れ様です^^
作家さんに見間違えるほど、
メモをとる姿がご立派だったんでしょうね(●^U^●)
by のこ (2009-12-19 13:54)
のこさま
私、いつかは「漫画家さん?」と言われたこともあります。
なぜなぜ?
by びわ (2009-12-19 20:32)
古い福助さん、眉毛が下がってないし、おちょぼ口じゃないんですね。
今のお顔は誰が変えたのかな
by けったま (2009-12-20 08:58)
けったまさま
古い福助さん、ちょっと顔が怖いですよね。
眉毛下がっていると、優しい顔になります。
ホント、どう変わっていったんだろう。
また調べてみたいー。
by びわ (2009-12-20 18:44)
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